忠犬ハチ公は、東京帝国大学農学部で教授を務めていた上野英三郎博士の飼い犬でした。1925年に上野博士が東京帝国大学内で急逝、その後約9年間、ハチは、毎日のように渋谷駅まで博士を迎えに通いました。そして1935年に死にました。渋谷駅前で毎日主人の帰りを待ち続けたハチの姿は、新聞にも紹介され人々に感銘を与え、有志の寄付によりハチ公の銅像が建てられました。さて、ハチ公像が建てられたのは何年のことでしょうか。
①1934年②1944年③1954年
*第3回渋谷検定出題
現在のハチ公像は二代目です。初代の銅像は彫刻家安藤照(てる)により制作されました。この銅像は撤去され、現在の銅像は安藤照の息子の安藤士(たけし)が制作したものです。さて、初代ハチ公像は何故撤去されたのでしょうか。
①美術館に飾るため②戦時中金属材料として使うため③古くなり作り直すため
*第3回渋谷検定出題
渋谷と言えばスクランブル交差点。世界中の人々が興味を持つ名所です。昨年、渋谷駅周辺に集まる群衆に、広報車から整然とした歩行を呼び掛けて、一躍時の人となった「DJポリス」が警備の完遂に貢献したとして、警視総監賞を贈られました。さて、この軽妙な話術で、見事に群集の心をつかんだ警察官が活躍したのは、いつだったでしょうか。
①まちにミュージシャンが溢れる渋谷音楽祭の時
②ニューイヤーのカウントダウンで若者たちが溢れた時
③ワールドカップ日本代表がブラジル大会出場を決めた夜
*第3回渋谷検定出題
スペイン坂は、雑貨店、衣料品店等が並ぶ渋谷の顔の一つです。パルコからの依頼で、当時、近隣にあった喫茶店「阿羅比花(あらびか)」の店主・内田裕夫(やすお)さんが提案したことにより、そう呼ばれるようになりました。この坂道の上と下の高低差は約3.5mあります。そこにある階段は何段でしょうか。
①13段
②23段
③33段
*第3回渋谷検定出題
宇田川町・井の頭通りの近くに「竹久夢二居住地跡」の碑があります。大正ロマンの画家竹久夢二は、大正 10年にここに家を借り、「どんたく図案社」というデザイン事務所を創めました。美術装飾等に積極的に取り組み、今でいうグラフィックデザイナーのはしりといえます。さて、何年まで渋谷にいたでしょうか。
①大正13年
②昭和9年
③昭和20年
*第3回渋谷検定出題