一昨年の紅白歌合戦で、美輪明宏の「よいとまけの歌」が話題となりましたが、昔、渋谷の公園通りにあった「ジアンジアン」でも歌っていました。公園通りは中島みゆきや尾崎豊、ガロなどの歌の舞台にもなるほど、ミュージシャンの間では熱い視線を注ぐ場所でした。今でも、繁華街には多くのライブハウスがあり、公園通りの途中には中小のホール、坂上には、渋谷公会堂など大きなホールがあります。無名時代の小さなライブハウスから、段々と大きなステージやホールでのコンサートを夢見た憧れの聖地・成功を象徴する彼らにとっての公園通りは、どんなふうに語られていたのでしょうか。
①公園通りの坂上がり
②公園通りのスター街道
③公園通りの出世街道
*第3回渋谷検定出題
昨年末、公園通りに新しいマンションが建ちました。渋谷公園通り沿いの分譲マンションは26年ぶりとなるそうです。とても豊かな都心居住が実現できそうです。さて、以前はここには何が建っていたでしょうか。
①分譲マンション
②商業施設
③区の施設
*第3回渋谷検定出題
2010(H20)年に改修された桜通りは、車道が1車線で曲線になり、歩道が広がって急な坂道だけど歩いて楽しい道になりました。桜通りはその名の通りソメイヨシノの並木道になっていて、毎年春にはさくらフェスタが開催され多くの人で賑わいます。それでは、桜丘通りの桜並木は何本あるでしょうか。
①22本
②28本
③36本
*第3回渋谷検定出題
渋谷区総合文化センター大和田が建っているところは、元は小学校があったので、地元の皆さんにとっては懐かしい場所かと思います。ここには海外でも有名な彫刻家、安田侃さんの作品が2体設置されています。一つは1階入り口にある白大理石の「天秘」ですが、もう一つは2階のロビー階に上がる外の階段の先に設置されています。それでは、この彫刻は、何と命名されているでしょうか。
①妙夢
②帰門
③意心
*第3回渋谷検定出題
江戸時代に刊行された「江戸名所図会」には宮益坂の名は見えず、富士山が見えることから「富士見坂」と呼ばれていました。正徳3(1713)年町奉行所の支配地に入ると同時に、この一帯が渋谷宮益町となり、坂も宮益坂と呼ばれるようになったと言われています。それでは、何故、「宮益」と呼ばれるようになったのでしょうか。
①宮益という名主がいた
②御嶽神社にあやかった
③宮益屋という宿屋があった
*第3回渋谷検定出題