渋谷には多くの坂道があります。今も残る宮益坂と道玄坂は、渋谷の背骨として地域を縦貫し、江戸時代には御府内から西に向かう旅人が行き交う街道でした。そして、多くの人々が目指した目的地にちなんだ通称で呼ばれていました。さて、何と呼ばれていたのでしょうか。
①富士見街道
②大山街道
③多摩川街道
*第2回渋谷検定出題
道玄坂から少し脇に入ったところに「東京新詩社跡」と書かれた碑が立っています。東京新詩社は明治期を代表する文学結社で、機関紙「明星」を発刊し、ロマン主義文学の拠点となっていました。当時、石川啄木など多くの文学者がここを訪ね、渋谷についての歌や文章を書いています。それでは、渋谷でこの結社を主宰していた歌人は次ぎの誰でしょうか。
①北原白秋
②与謝野鉄幹
③齊藤茂吉
*第2回渋谷検定出題
道玄坂二丁目の百軒店は、関東大震災の後、箱根土地株式会社(現コクド)が路面の百貨店というコンセプトで開発し、震災で被災した資生堂や天賞堂、精養軒などをここに誘致したのが始まりです。さて、開発される前ここには何があったのでしょうか。
①鍋島侯爵家の果樹園
②中川伯爵家の屋敷
③荒木山の遊郭
*第2回渋谷検定出題
渋谷の新しい顔として、「渋谷ヒカリエ」が出来ました。この駅直結の地上34階、地下4階の建物には、商業施設、業務施設に加え、イベントホール、クリエイティブスペース、劇場といった文化施設が複合しています。その中でも特筆すべき施設は座席数約2,000を誇るミュージカル劇場でしょう。さて、この劇場の名称はなんでしょうか。
①SHIBUYA SKY THEATER
②TOKYU THEATER Orb
③Hikarie Hall
*第2回渋谷検定出題
渋谷駅から国道246号線を越えた鶯谷町には、特異な建築デザインの青山製図学校1号館があります。1990年に国際コンペが行われ、建築家渡辺誠が最優秀案に選定され、このような斬新な建築デザインの校舎が建っています。さて、この建物は。特異な形から連想される通称で呼ばれていますが、何と呼ばれているでしょうか。
①ガンダムビル
②マジンガーゼットビル
③エヴァンゲリオンビル
*第2回渋谷検定出題